田無神社〜開かれた神社〜

滝島 俊

鎌倉時代の創建から江戸初期の遷座を経て、今日まで人々の祈りを紡いできた歴史のある神社。2020年(令和2)に御遷座350年大祭が斎行され、田無神社は大きな節目を迎えました。「開かれた神社」をスローガンに、伝統を守り、後世につないでいくことを考え、若い人にも振り向いてもらえるような取り組みを行なっています。

 田無の氏神様として大切に護られてきた田無神社の創建は鎌倉時代まで遡ります。当初は現在の鎮座地より北へ1キロほど離れた北谷戸の宮山に鎮座しており、尉殿権現と称していました。当時は西光寺(現總持寺)が、尉殿権現の別当寺となっていました。宮山があった谷戸地区は、生活に欠かせない水が得られる土地でした。集落は古道横山道沿いにあり、田無、上保谷の発祥の地と言われています。時代は下り江戸時代になると、江戸城増改築に際して、漆喰の原料である石灰を青梅の成木、小曽木から運搬するために青梅街道が開かれました。北谷戸の住人たちは馬による輸送である「伝馬(てんま)役」を仰せつかり、継場である青梅街道沿いに移り住みました。これにより、江戸と青梅のほぼ中間にあり、交通の要所である「宿場町田無」の町の歴史が始まることになります。

 田無村の中心が青梅街道沿いになると、宮山に鎮座していた尉殿権現社は、17世紀に宮山から現在の鎮座地(現田無神社の場所)に遷座されます。その後、尉殿権現は明治政府の「神仏分離」政策により、明治5年(1872)に田無神社と社名を改めます。明治43年(1910)に町内の5つの小社(上向台鎮座の八幡神社、下向台鎮座の八坂神社、北芝久保鎮座の稲荷神社、上宿鎮座の八幡神社、谷戸鎮座の熊野神社)を合祀。昭和24年(1949)に大阪市の大鳥神社より大鳥大神が分祀され現在に至ります。令和2年(2020)には遷座350年を迎えました。

本殿・拝殿は2018年(平成30)に、特に景観上重要な歴史的建造物等に選定されました。

 田無神社は、級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)、大国主命を主祭神としてお祀りしています。級津彦命、級戸辺命の二柱は尉殿権現と称されていた創建当初よりお祀りしている神様で、雨と風を司る神様です。現在は五行思想に基づき本殿に級津彦命・級戸辺命として金龍、境内各所に黒龍、白龍、赤龍、青龍を配祀し五龍神として信仰されています。本殿の彫刻は江戸の名工嶋村俊表による見事なもので、本殿・拝殿ともに都の指定文化財になっています。

1949年(昭和24)から続く酉の市。熊手の露店が立ち並びます。

田無神社 主な祭事と行事

  • 1月 歳旦祭/成人奉告祭
  • 2月 節分祭/祈年祭 【17日午前10時】
  • 4月 五穀豊穣春祭・雹祭
  • 6月 夏越の大祓 【30日午後3時】/御田植祭
  • 7月 七夕てるてるトンネル/津島神社祭
  • 8月 慰霊祭[15日正午]/お人形感謝祭
  • 10月 例大祭【第二日曜日とその前日】
  • 11月 酉の市 【酉の日】/新嘗祭【23日10時】
  • 12月 師走の大祓 【31日午後3時】/除夜祭 【31日午後11時】

※写真はすべて田無神社提供

住 所〒188-0011 東京都西東京市田無町3丁目7−4
アクセス西武新宿線「田無駅」北口より徒歩6分
電 話042-461-4442
H Phttps://tanashijinja.or.jp/

※掲載の情報は取材当時のものです。最新の情報は各公式ホームページ等でご確認ください。
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著者
滝島 俊
郷土史研究家
旧保谷市出身(射手座)。以前は光学機器メーカーのエンジニア。下野谷遺跡のマスコットキャラクター「しーた と のーや」のデザインを手がけ、地元に目を向けるように。現地に足を運び資料文献の両面からデータを積み上げる、根っからの研究者。趣味はカメラとものづくり。土地の歴史や遺構などに興味を抱くマニアックな一市民である。最近ではまち歩きのイベント等でも講師として活躍している。
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