ひばりが丘団地

滝島 俊

 かつては雲雀(ヒバリ)がさえずるこの地に現れたマンモス団地は、当時の住宅公団が1959年(昭和34)に造成したもので、保谷町、久留米町、田無町にまたがった総敷地面積は34ヘクタールもありました。この団地は当時の田無町長により「ひばりが丘団地」と名付けられました。 

 敷地には武蔵野の雑木林である松などが植生していましたが、これらの緑を活かしゆったりとした設計で、空間利用率が40%程度の緑地や公園が多い構成も特徴だったようです。竣工当時の住棟構成は180棟、2714戸であり、なんと1万人を超す人々が住んでいました。団地敷地内には野球場、テニスコート、緑地公園、市役所の出張所、名店街、学校、スーパーマーケット(西友)などがあり、ここだけで何でもそろう未来都市でした。戦後十余年で登場したこの空間は、鉄筋コンクリート造りやステンレスシンクの付いたキッチン、ガスの内風呂、水洗式トイレなど、最先端で利便性豊かであり、団地生活は憧れのまとでした。西武池袋線の田無町駅は、このひばりが丘団地の完成に合わせ、1959年(昭和34)に「ひばりヶ丘」というモダンな駅名に改称しました。

ひばりヶ丘団地内にあった、団地地図

 1960年(昭和35)に製作された団地生活の啓蒙動画「団地への招待」は、ひばりが丘団地での生活や注意点などを紹介する動画で、先に入居した姉夫婦が豊かな団地生活をおくっているのを見て、妹が憧れるというストーリーです。加えて同じ年、この新しい街を当時の皇太子ご夫妻(現上皇・上皇后)がご訪問され、団地の暮らしを視察されたことから、ひばりが丘団地は一躍全国に知れ渡る事となり、のちに各地で建設されることとなる公団住宅の手本となったそうです。 

 このひばりが丘団地の商店街から、後の外食チェーン「すかいらーく」を創業した「ことぶき食品」が生まれます。この小さな乾物店は、団地住人の需要を読み解きやがて世界的な外食チェーンへと成長していきます。ちなみに「すかいらーく」は英語で「ひばり」のことなのです。

 現在は老朽化に伴い数棟を残してURによる建て替え工事が行われ、1259戸の集合賃貸住宅棟「ひばりが丘パークヒルズ」や分譲住宅地に変化しましたが、スターハウスと呼ばれた1棟は当時のまま保存され、その前には皇太子ご夫婦がお立ちになった47号棟208号室のベランダが、メモリアルとして保存されています。また、旧118号棟をリノベーションしたコミュニティセンター“ひばりテラス118”や、シェアデパートメント“HIBARIDO”には素敵なショップがあり、マルシェやイベントなどが盛んに行われていますので是非訪ねてみてください。人々の記憶と再生の街「ひばりが丘」は更に進化していくことでしょう。

住 所〒202-0001 東京都西東京市ひばりが丘3丁目2(代表地点)
H P まちにはひばりヶ丘 https://machiniwa-hibari.org/
H PHIBARIDO https://hibarido.life/

※掲載の情報は取材当時のものです。最新の情報は各公式ホームページ等でご確認ください。
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著者
滝島 俊
郷土史研究家
旧保谷市出身(射手座)。以前は光学機器メーカーのエンジニア。下野谷遺跡のマスコットキャラクター「しーた と のーや」のデザインを手がけ、地元に目を向けるように。現地に足を運び資料文献の両面からデータを積み上げる、根っからの研究者。趣味はカメラとものづくり。土地の歴史や遺構などに興味を抱くマニアックな一市民である。最近ではまち歩きのイベント等でも講師として活躍している。
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