旧高橋家屋敷林(下保谷四丁目特別緑地保全地区)

廣田 亜希子

武蔵野の面影を今に残す屋敷林は、農業で発展した保谷のシンボル。四季折々の豊かな自然と共に人々に愛され、郷土の歴史も詰まった、旧高橋家屋敷林の魅力に迫ります。  

 保谷駅北口から徒歩5分。緑の木々がこんもりと生い茂る敷地が、旧高橋家屋敷林です。現在は西東京市が所有する「下保谷四丁目特別緑地保全地区」で、中央部に母屋や蔵、井戸があり、その周囲を高木や竹林、モミジや桜の庭で囲む、昔の武蔵野の屋敷の姿を残しています。
 こちらの屋敷林は、下保谷の旧家・高橋家の一つ。俗称を「おかしら」といい、人々に親しまれてきました。代々、藍の栽培や養蚕、製茶、たくあん漬の製造などを生業とし、広大な農地や屋敷林を保持してきました。

農業や暮らしの道具が収納されていた蔵。

 現在残っている旧高橋家屋敷林の広さは、約1・1ヘクタール。「特別緑地保全地区」として2017年より西東京市が所有・管理しています。一般公開されるのは、観桜会や紅葉会など。「武蔵野の面影を残す屋敷林」として屋敷林を使いながら保全する方針で、屋敷林に関わってきた団体や近隣小学校の授業など、様々な体験や活動が行われています。

 高橋家の一つ、俗称「おかしら」、最後の当主となった高橋敬一さん(1918~2020)は、あらやしき公園用地を寄付し地域の発展に貢献。敷地内では、かつて保谷で盛んだった藍の栽培を伝える藍畑や、地域の人が楽しめるように野草園としてボランティア団体に土地を提供するなど、保谷の地と人々に心を傾けてきました。敬一さんが亡くなった後は、西東京市と高橋家屋敷林保存会などのボランティア、市民が協力して守り続けています。

野草園(高橋家屋敷林保存会)解放日:毎週金曜日10時~12時

 以前は、屋敷林の外側に芝畑や栗畑があり、北側の道路(飯田橋石神井新座線)、南側はあらやしき公園用地と周辺、東側は福泉寺通り、西側は下保谷福祉会館までが、おかしらさんの所有地でした。屋敷林の北側の高木林ゾーンは、防風や防火のため植えられたカシの木や、薪に使うスギが植えられていましたが、現在は戦後植えた樹木がそのまま成長を続けています。孟宗竹が青々と茂る竹林、モミジや桜が美しい前庭や草地もあり、身近な場所で豊かな自然を楽しめる環境。藍染イベントや主屋での落語会なども開かれ、地域の人が集う機会となっています。また先人の知恵を活かして、落ち葉を堆肥にしたり、様々な取り組みを行い、屋敷林と自然環境の活用・保護・保全の両面を持ちながら存続しています。

特別緑地保全地区に選ばれています

 旧・下保谷村の屋敷林は、農業や土地開発、戦争や経済成長など、時代の流れを反映しながら変化してきました。現在は、屋敷林を通して地域の歴史や豊かな自然に触れることができます。小学校の子どもたちが授業で訪れたり、大人も地域の歴史・文化に触れることができる、貴重な体験・交流の場です。

 また、公園をより身近な空間にするための活動の軸として、地域NPOや民間企業との連携・協働の活動が挙げられます。パークレンジャープログラムや犬のマナーアップキャンペーンなどのイベント開催、運動教室、公園の自然環境に関する情報発信など、公園が地域の人々とつながり、地域の人同士もつながることで賑わいが生まれることが期待されています。

保谷に「高橋家」はいくつもある! 
高橋家・保谷史的早見表!

 「高橋家」と一言で言っても、保谷には数えきれないほどの高橋家が存在しています。
 今回注目したのは、組頭など村役を務めた「作左衛門(サクザ)」「おかしら」そして「源蔵(ゲンゾウ)」の3軒。その起源は、白子川を遡上し小榑(こぐれ)村から開拓民として移住したのが始まりで、当初は福泉寺(下保谷3丁目)の北側辺りに定住した俗称「ホムラ」の高橋家から分家したといわれています。戦後は、三者三様それぞれの歴史を辿っています。

俗称:源蔵(ゲンゾウ)(マンション/東町3丁目)

北新田(現・東町3)で藍や金融業で得た資産をもとに、事業のための土地を購入するなど拡大し、それをもとに鉄道の誘致や宅地造成を進めた。
(生業)農業→藍玉作り→金融・不動産

俗称:おかしら(オカシラ)(特別緑地保全地区/下保谷4丁目)

最後の当主・敬一氏は銀行員として市外で暮らしたが、退職後は毎日のようにこの屋敷林に通っていたという。
(生業)農業→たくあん漬け製造→農業→特別緑地保全地区

俗称:作左衛門(サクザ)(私邸/下保谷3丁目)

 有力者だけが作ることを許された門(明治8)、主屋(昭和2)、蔵など、5つの建造物が国指定重要文化財となっている。庭には樹齢350年以上という大ケヤキがそびえ立つ。
(生業)藍玉作り→製茶→養蚕→雑穀仲買人・商売→農業

取材や文献を参考に構成・編集しています。歴史や解釈には諸説あります。

住 所〒202-0004 東京都西東京市下保谷4丁目7−4
アクセス西武池袋線保谷駅北口 より徒歩5分
H Phttps://sites.google.com/view/yashikirin/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

※掲載の情報は取材当時のものです。最新の情報は各公式ホームページ等でご確認ください。
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著者
廣田 亜希子
ライター
西東京市歴19年(射手座)。伝説のライターチーム・ままペンシルを立ち上げたのち、企画・編集・ライティングを行っている。ラジオ番組ディレクターやアンテナショップ「まちテナ西東京」副店長を経て多摩六都科学館勤務。5市の魅力を発見・発信するプロジェクトを企画・担当。メディアを問わず、地域の定番とマニアックな両面にフォーカス。「842PRESS」では巻頭特集、マニアックスページなどを担当している。
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